| ■第7章:大和政権と豪族 |
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| 1.大和地方の豪族 |
■大和政権のしくみは、時代とともにしだいに整備されていったと考えられています。しかし6世紀より前のようすは、史料が不足していることもあって、ほとんど明らかになっていません。ただ前にご紹介した倭王武の上表文や古墳から出土した刀剣の銘文(めいぶん)などから、さらに古墳自体の変化などからも、5世紀の後半ぐらいから少しずつ大和政権の基礎が形づくられていったのではないかと想像されています。 ■前章でお話しした埼玉県の稲荷山古墳や熊本県の江田船山古墳から出土した鉄剣のことを覚えていますか?鉄剣には「ワカタケル」と刻印されていました。そしてこの「ワカタケル」は雄略天皇であると考えられているのでしたね。ということはこれらの古墳がつくられた5世紀後半には大和政権の支配が関東地方や九州地方にまで広がっていたのではないかと考えることができるわけです。 ■大和政権は大王を中心として、大和や河内(かわち)−大阪府の北東部です−とその周辺に勢力をもった豪族たちによって成り立っていました。当時の豪族は下の図のようなかたちでそれぞれの地域を支配下においていたのではないかと想像されています。 |
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| 大和地方の豪族の分布(by.Ein) |
| ■豪族とは氏(うじ)とよばれる結びつきをもとにした一族のことです。氏とは祖先が同じであると考える人々の集団です。そしてそれぞれの氏は氏上(うじのかみ)とよばれたリーダーによって率いられていました。ちなみに集団のメンバーのことを氏人(うじびと)といいます。 ■氏はそれぞれ名前をもっていました。一族の名前ですね。今の感覚で近いものをさがすと名字のようなものだと思って下さってけっこうです。氏の名には、葛城(かずらぎ)・平群(へぐり)・蘇我(そが)などのように地名によってつけられたものと、大伴(おおとも)・物部(もののべ)・土師(はじ)などその氏の仕事(職掌)に関係したものとがあります。 ■豪族=氏は、集団で農民を支配し、私有地をもっていました。豪族の支配下にあった農民を部曲(かきべ)、私有地のことを田荘(たどころ)といいます。また奴(やっこ)あるいは奴婢(ぬひ)とよばれた奴隷を所有し、田荘の耕作を行わせました。 ■氏上は、先祖神である氏神(うじがみ)を祭り、氏人を率いて大和政権につかえていました。 |
| 2.氏姓制度と部民制度 |
■大王は、各豪族=氏の氏上ごとに大和政権内での地位を示す称号(しょうごう)をあたえ、分担して政治を行わせました。この称号のことを姓(かばね)といいます。姓には臣(おみ)・連(むらじ)・君(きみ)・別(わけ)・直(あたい)・造(やっこ)・首(おびと)・史(ふひと)・稲置(いなぎ)・村主(すぐり)など約30種類がありました。 ■大和政権の政治のしくみは、豪族の氏上に姓をあたえ、決まった仕事を分担させることによって人々を支配していました。このしくみのことを氏姓制度(しせいせいど)といいます。 ■臣はおもに大和地方の有力豪族に、別は大王の一族に、君は地方の有力豪族に、直は大和政権の支配下に入った地方の豪族に、連・造・首は決まった仕事で政権につかえる豪族に、史・村主は渡来人系の豪族によくみられる姓です。そして大王は臣・連の中でとくに大きな勢力をもつ者を大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)に任命して、中央の政治をまかせました。 ■実際の政治の仕事は、伴造(とものみやっこ)とよばれる豪族やそれをたすける伴(とも)とよばれる氏人によって分担(ぶんたん)され、伴造や伴は、品部(しなべ)とよばれる人々をしたがえて、代々決まった仕事を行っていました。 ■品部というのは、大和政権のために仕事をする技術者集団のことで、前の章でのべた韓鍛冶部(からかぬちべ)・陶作部(すえつくりべ)・錦織部(にしごりべ)・鞍作部(くらつくりべ)などの手工業者の集団が中心でした。 ■次は地方政治のお話です。地方の政治のしくみは大和地方を中心に整えられていきました。大和政権は県(あがた)とよばれる単位に地方を分け、それぞれの県の長として県主(あがたぬし)をおきました。 ■そして大和政権の支配が広がるにしたがって、それまで独立していた各地の小国の王のうち、大和政権にしたがうようになった者を国造(くにのみやっこ)に任命して、その地方の支配をまかせるようになります。 ■かなりややこしいのですが、県主制→国造制という流れで、大和政権の支配が地方へ広がっていったのだと理解して下さい。県主や国造は、大和政権から地方の支配を認められるかわりに、政権のもとめに応じて、その土地の産物を納めたり、労働力を提供したりしていました。 ■大和政権は5世紀の後半から6世紀にかけて、地方豪族の支配下にあった農民の一部を名代(なしろ)・子代(こしろ)とよばれる政権の直属民(ちょくぞくみん)とするようになりました。また屯倉(みやけ)とよばれる直接管理する土地=直轄地(ちょっかつち)を設け、田部(たべ)とよばれる農民にその土地を耕作させました。 |
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| 大和地方の支配のしくみ(by.Ein) |
| ■今までのややこしいお話を図にまとめると上のようになります。(これでもややこしいですね!) ■大和政権の支配のしくみは史料が不足していることもあって、よく分かっていないことも多いので理解が難しいです。5世紀から6世紀にかけての大和政権は、身分制度である氏姓制度とそれを支えたさまざまな部(べ)からなる部民(べのたみ・べみん)制度によって成り立っていたのだと大まかに理解して下さい。 ■そして、大王を中心に有力な氏によって成り立っていた大和政権は、この二つの制度(氏姓制度・部民制度)を整備していくことで、支配体制を強化していったんですね。 ■今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。ここまで読んで下さってありがとうございました。 |
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