彼ら(彼女ら)の学校は川沿いにあり、それはもう河口にほど近く、広くゆっくりと澱み、臭い。その水は泥や塵やバクテリアや排水口から流れ込む工業/生活廃水をたっぷりと含んだ粘度の高い水だ。
流れの澱み、水の流れの完全に停止した箇所は、夏の水苔のせいですさまじい緑となり、ごぼごぼいう茶色い泡だけが投げ込まれた空カンをゆらしている。その水には彼ら(彼女ら)の尿や経血や精液も溶け込んでいることだろう。
その水は海に流れ込んでいくだろう。海。その海は生命の始原というイメージからは打ち捨てられた、哀れな無機質な海だ。海の近く。コンビナートの群れ。白い煙たなびく巨大な工場群。
風向きによって、煙のにおいがやってくる。科学的なにおい。イオンのにおいだ。
河原にある地上げされたままの場所には、セイタカアワダチソウが生い茂っていて、よくネコの死骸が転がっていたりする。
彼ら(彼女ら)はそんな場所で出逢う。彼ら(彼女ら)は事故のように出逢う。偶発的な事故として。
あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何らかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。
一人の少年と一人の少女。けれど、彼の慎ましい性器が、彼女のまだ未熟なからだの中でやさしい融解のときを迎えることは決してないだろう。決して射精しないペニス。決して孕まない子宮。
惨劇が起こる。
しかし、それはよくあること。よく起こりえること。チューリップの花びらが散るように。むしろ、穏やかに起こる。ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。
彼ら(彼女ら)は決してもう二度と出逢うことはないだろう。そして彼ら(彼女ら)はそのことを徐々に忘れていくだろう。切り傷やすり傷が乾き、かさぶたになり、新しい皮膚になっていくように。そして彼ら(彼女ら)は決して忘れないだろう。皮膚の上の赤いひきつれのように。
平坦な戦場で僕らが生き延びること。
River's Edge。
岡崎京子「リバーズ・エッジ」より、ノート
掲示板の方で触れた、ねこねこソフト「銀色」を終えて思い出した文章です。
どこがどうなのかは、おいおいということで。
●第一章
色街から、なんとなく逃げ出したヒロイン。
垰で野盗をし、なんとなく人を殺す毎日の主人公。
…そんな生きてる実感も無い二人が、
出会った事から始まる切なく哀しい物語。
この一章で二人が出会ったのが渓の縁だったという事。主人公が作っていく死体。
それが「リバーズ・エッジ」を想起した最初の理由。
「ゆらゆらと、ゆらゆらと」
繰り返される少女の独白。「」で括られた会話文でなく、独白。
そこに声がついているという演出に白倉由美のリーディング・ストーリィを思い出して、なんだか嬉しくなりました。ノベルゲームでずっと見てみたかった演出。
「私、生きてるの?」
「私、光ってた?」
願いが叶う「銀色」があっても、願い事がわからない。
●第二章
山合いの里に、今日も鉄を燃やす踏鞴の煙が広がる。
そんな静かな里の小さな社。
特に何かを祭っている訳でもない神社にやってきた、
地方領主の息子の主人公。
そこで主人公は一人の斎宮と出会うのだが…
一番好きな章。
働き者だけどドジで、時折変な料理を作る、不器用で優しい巫女との出逢いと交流。
話の展開は直ぐに読めるのだけれど、様々な意味で、愛しい。
以下ネタばれ。
台詞はうろ覚えですが、初めの方に「秘密を教えてもらうのって、嬉しいじゃないですか。相手と親しくなれるような感じがして」なんて台詞があって、これが中盤で、同年代の子供達に馴染めないでいたとある少女と主人公との交流のきっかけになっているなど、個々のシーンや伏線が良く練られていて好感。
あと、このシナリオ、多分「ToHeart」マルチシナリオへのリスペクトですよね。
ドタバタしながらの掃除、変な料理、献心。
そして、自分にしかできない「役目」があるんだ、人の役に立てるんですよ、と喜んでいた巫女。
そういう記号からもなんとなくマルチの影を感じるんですけど、それだけじゃなくて、もっと根源的な部分で、このシナリオはマルチへのリスペクトなんじゃないかと感じられます。
「いじめられっ子が、それでもいじめっ子達についていくのは、「いじめられる」という役目が欲しいから」
「一番怖いのは、誰にも相手にされないことです」
「役目は与えられるものではなく勝ち取るものだろう」という主人公の正論に対し、「それは貴方がお強いからです」と微笑む巫女。
はたと気付いた、「ToHeart」本編では触れられず、気にするものもいなかった違和感への解答。
自分はマルチの作られ、従う役目、「人の役に立つということ」にもやもやしたモノを感じていたけれど、それは、つまり、「自分が人間だから」で「マルチがロボット」だからに他ならなかったわけだ。
自分という人間の物差しが、他の自分とは違う人間、ましてやロボットに当てはまるわけがない。
マルチや彼女にとっての幸せが自分にとってそう見えるとは限らない。
「それで、誰が人柱になるんだ?」
「私です」
「そうか」
…ブハァッ!
「うわぁ、汚いですよぅ」
こんなやり取り(上記の台詞は本編のとは違います)が最高に可笑しくて。もう、笑った笑った。
くじ引きで当たった人柱という「役目」に殉じようという彼女との、決められた終わりに向っての交流。だけど悲壮感を感じさせない、当たり前の日常。
笑ってる彼女が愛しくて。
そうして、変な話ですが、彼女を通してマルチの一週間がどういう意味を持っていたのかを、マルチの笑顔がどういう意味であったのかを、頭でなく、感情でようやく理解しました。「ご主人様」とそう呼べる役目を望んで、それには呼ぶ為の相手が必要で…
ぐわー、愛しいじゃねえか。
…なんて、マルチを思い出しながら、役目に殉じようとする巫女の姿を見つめて。
最後の夜、結ばれた時。
願いを適える『銀色』が実は彼女の傍の琴の中にあった事を知って。
彼女が何を願ったのかといえば、月夜に琴を弾きながら、主人公に会いたいなんてことで。
「そうしたら、本当に来たんですよ。銀色の力は本物です」だなんて言って。
「じゃあ、俺がお前を好きになったのは『銀色』の力か。興が覚めた。帰る」だなんて冗談で言う主人公を、「わぁ、嘘ですよ、あんなの御伽噺ですよー!」なんて必死で引き止めて。
大笑いしながら、この「好き」という感情へのくだらない理由付けへの皮肉が、マルチの感情はプログラムされたものだから、なんて斜に構えていたかつての自分への皮肉のようで、苦笑して。
最終日。
凛と立って、役目に殉じて、埋められていく彼女を見て。
…それが実は村人達によって仕組まれた「役目」であった事を知って、憤り巫女を救出する主人公がいて。
けれど、全てを知った上で「役目」に殉じたんだと言って、何も分っていなかったんですね、と主人公を哀しげに見つめ、やはり死を選ぶ巫女がいて。
繰り返し見せられる分ってなかった主人公は、マルチを理解してなかったかつての自分で。
息を吐いて。
…。
役目を言いつけられるのを待っていた「ToHeart」のマルチ。
「フルーツバスケット」で名前を呼ばれるのを待っていた透君。
そして、「役目」を与えられて、それに殉じて死んでいった彼女。
理解できなかったけれど、今でも出来ていないかもしれないけれど、その生き方を、彼女たちを今は心から愛しいと思う。
自分の中の正義とは関係なく。
意識してかそうでないかは知らないけれど、多分、このシナリオを描いた人はマルチ(或いはそれに類する私の知らない何か)を本当に理解していて、好きで、自分の中で消化しているんだな、というのを感じました。ウィリアム・ジェームスの心理学。
…私も負けてはいられない。
そして、一章の台詞を思い出します。
「私、光ってた?」
そう。自分ではそれは見えない。わからない。
●第三章
仲の良い姉妹。平凡だけど幸せと呼べる日常。
そんな二人を本編ストーリーが複雑に絡み合っていく。
…そして、その結末は以外な方向へ…
「今のお姉ちゃんに必要なのは、現実を直視することじゃなくて、気を紛らわせることが出来る――」
読んでいて、一番辛かったのがこの3章。
ストーリーがダークだから辛いとかいうのではなく、とにかく、長くてくどいのが辛かった。
淡々としているのはこの章に限ったことではないのだけれど、この章、妙に長くて。
個々の台詞が面白かったりもするんですが(「謝らなくてもいいのよ、謝っても許さないから」とか。…いや、自分の身近にそういう事言う人がいたりするので余計に可笑しかったり(^^;;))、舞台が固定されているからとはいえ、ちょっと単調すぎたんじゃないかという気がする。
単に肌に合わないだけかもしれないのだけれど、もうちょっとストーリーとしてメリハリつけられなかったものかと思ったり。
とはいえ、分析、考察を行なえば、この作品全体の中に占める意味などからこの章は絶賛出来る。
「弱さ」という「正しさ」の「強さ」と残酷さ。
「人の為の善行」と書いて偽善。
人を愛しく思う感情と愚かさが引き起こす残酷。
弱く愚かな者が、強く正しい者よりも人を和ませ、好かれるという現実。
それは強くあろう、正しくあろうと思う賢い者にとっては残酷な現実で。
二章と比べて考えてみるとこのシナリオの意味が判る。表と裏。
そして、妹がいての姉、姉がいての妹であるということ。
それはこの章が終わった後になってから深い意味を醸し出す。
読んでいる時よりも、ゲーム終盤になってから、或いは全てを終えてから色々な事に気付く章。
●第四章
舞台は現代。
家業の喫茶店を手伝うヒロインは、
誰にも『言えない』秘密と哀しみを背負っていた。
本人さえも、その原因が『銀色』に関係しているとは
考えてもいなかったのだが…
…何気に上記紹介文が上手いかも(書忘れていましたが、全部オフィシャルのコピペです)。
この章に来て、どこか俯瞰してみていた物語に完全にのめり込みました。
「人に頼らず、現実を直視し、自分の力で立ち直れ」
ヒロインはその正しい言葉に従い、親しくなった主人公から離れ、そして、一人で泣く。
正しさは強い。だから弱いものを追いつめる。
それが嫌なら強くなればいい。
それは正論。
でも、他人の強さや正しさは彼女の涙を止めてはくれない。
他人の弱さや優しさに縋れば彼女の涙は止まる。
だけど、他人に頼っていたら、自分で涙を止める強さが身につかない。
愚かで、弱くて、だから泣いている彼女に手を差し伸べることは「正しく」はないし、手を差し伸べてしまうのは「弱さ」かもしれない。
何もしないこと、或いは突き放す事が「強さ」で、「正しさ」で。
誰かの涙を止めるためにと差し伸べてしまう手はきっと「弱さ」で、「正しく」ない行為で。
でも、そうしてしまう、そうせずにはいられない人の「弱さ」は愛しくて。
第二章、第三章を改めて思い出し、考える。
「正しい」ことってなんだろう?
泣いている女の子に、僕らは何をしてあげるべきなのだろう?
「私、光ってた?」
第一章で問い掛けられたそんな問いに、どう応えてあげるべきなんだろう?
●錆
「私、光ってた?」
自分で自分は見られない。
自分が光っているかどうかは、それを見てくれる他人がいないと確められない。
終章「錆」の中で、それはもう一度別の言葉で、反対の表現で語られる。
自分を覚えていた者、自分の血に連なる者。彼ら(彼女ら)が消えてしまったとき、自分は死と共に
「消えてしまう」
「私、光ってた?」
「私、生きてるの?」
問い掛ける相手は他者。
応えてくれるのも他者。
切り取られた幾つかの時間の中。
様々な、だけど同じ、愚かで弱くて哀しくて、そして愛しい人間達の営み。
「私、光ってた?」
それぞれがそれぞれの生の中で辿り着く疑問。
それにどう答えるのか。答えてあげるのか。
彼ら(彼女ら)は別に何らかのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。
一人の少年と一人の少女。けれど、彼の慎ましい性器が、彼女のまだ未熟なからだの中でやさしい融解のときを迎えることは決してないだろう。決して射精しないペニス。決して孕まない子宮。
惨劇が起こる。
しかし、それはよくあること。よく起こりえること。チューリップの花びらが散るように。むしろ、穏やかに起こる。ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。
彼ら(彼女ら)は決してもう二度と出逢うことはないだろう。そして彼ら(彼女ら)はそのことを徐々に忘れていくだろう。切り傷やすり傷が乾き、かさぶたになり、新しい皮膚になっていくように。そして彼ら(彼女ら)は決して忘れないだろう。皮膚の上の赤いひきつれのように。
平坦な戦場で僕らが生き延びること。
「生き延びること」
それを私は「銀色」の中に見ました。
そして、その先に、ひとつの、生き延びて「よかったね」といえる終わりを。
どう生き延びればいいのか。
多くの問題提起、その正解は提示されません。
組み立てられた物語の中、誰かの考える正解(例えば、自然を大切にしろとか、現実を受容しろなんての)が奇蹟を起こし、それが正解だからそうやって生きろ等とプロバガンダするような作品ではありません。
正解かどうか分らない人生を送り、何度も失敗する等身大の人間“達”の姿が見られるだけです。
けれど、それでも自分で考えて、生きていた彼女達は魅力的であり――
「私、光ってた?」
その問いの答えだけはそこにあり――
生きてて、よかったね、とそう言える作品というのは生への讃歌であり、清々しくあり、愛しくあり、好きだなぁと、そう思うのです。
以上、「銀色」についての感想文でした。
「オートモード」という、自動テキスト送り機能を用いてプレイしました。ボタンを押さずに眺めるノベルというのにも色々と考えさせられ、色々と書きたいこともあるのですが、今回はそれについてではなく、主にシナリオについてのみを書きました。
余裕があればもうちょっとまともにレビューっぽく書きたかったんだけど(そうしないと書けないこともあるし)、余裕が無いので、今回は「Air」や他の事に移行するためにとりあえず自分の感情吐き出し。あんま読み手のことを考えてなくてすいません。
でもお蔭様ですっきりしました。読んで下さった方ありがとうm(_ _)m
というわけで。
やっぱ人間て面白いよなぁ、好きだなぁ、愛しいなぁと「銀色」と中村一義「ERA」で再確認、仕事他でささくれる気持ちをリカバーできてよかったなぁ、な「Air」発売日なのでした。
ああ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。
…本気で余裕ねえな、俺。