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《雑記帳 9月》
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9月20日 AIRオープニング(AIR雑記の流用記事です)

 以前、ピュアガの付録であのムービー(?)を見たときは貶しまくっていた私ですが…。

 すみません、間違っておりました。


 つーか、あれ、オープニングデモとかそういうんじゃないじゃん。
 Airという作品の一部じゃん。完全に。

 OP前のテキスト。入りのセピア色、動き、歌詞と画のシンクロが醸し出す意味合い、最後の画と言葉。
 OP後のテキスト。

「声が聞こえた気がした」

 …何、この完璧さ!?


 クリアした人間、見返してみい!
 とんでもねえよ、あれ。
 tatuyaさんはAirにOPの歌やアニメがつく必然が感じられないといってたけど、私は少なくともあのカメラワークによる画の動きとテキスト、言葉、歌詞、烏を肩に乗せた観鈴の画はAirという作品を成立、完成させるのに必要なものだと思うですよ。

 しかし、あそこまで計算できるものなのか? 驚愕と賛辞。
 Key作品のBGMが劇伴として機能しているという事の意味を、もっとよく考えてみる必要があるかもしれない。
 アドベンチャーゲームというシステムをああいう風に利用してしまうシナリオを書く麻枝さんというのと併せて。
 …誰か、麻枝さんに別ジャンルのゲームを作らせて下さい。SLGやSTGというシステムをあの人がどう使うのか、凄く、見てみたい。

 なんにせよ。
 見れば見るほどに、AIRは美しく、愛しい。
 それ以外の何かを言う必要が無いくらいに。

 ああ、私も、美しいというただそれだけで充分だと思います。
 だから今はただ美しい愛しいという感想と、ゲームの使い方の新たな道の提示についてだけメモります


9月24日 ふっかつのじゅもん

 「メタルスレイダーグローリー」復活したり、「おもいでエマノン」が復刊したり、「VIDEO GAME MUSIC」が復刻されたりする世紀末。

 「VIDEO GAME MUSIC」と聞いて、田尻智「パックランドにつかまえて」を思い出す。

 僕らは、ゲーム少年だったころの自分を、きのうやきょう、あったことのように思い出す。それは、僕らにとって、とても大切なことだ。そして、それを色褪せないで思い出せるのは、このくたびれたカセットテープのおかげだ。きっと、このテープは、僕らの青春の破片で、記念アルバムみたいなものなのだ。だから、いつかその大切なおもいでが薄れていって、忘れてしまうようなことがあっても、このテープをかければ、すぐ記憶を呼び覚ますことができるだろう。

 音楽や風景、たった一つの言葉が「ふっかつのじゅもん」と成りうる記憶の不思議。
 美凪の両親がそれぞれその「じゅもん」に対してどういう態度を取ったのかとか、前にもどこかで引用した、映画「カーリー・スー」の以下の言葉なんかも思い出しながらふと考えてみる。

(親の形見の指輪が相棒の不注意で盗まれたとき、主人公の少女スーの台詞)
「いいの。無くなれば思い出になるわ。持ってたなら思い出にはならないもの」

 「じゅもん」を唱える事って、過去を忘れないための儀式ともなるけれど、それを過去にしないための抵抗とも成りうるんだな、とか。
 途切れずに再生し続けられる記憶はもう思い出ではないのだろうな、とか。



9月25日 君

 GBを立ち読みしたら中村一義のインタビューが載っていた。
 彼の歌によく出てくる「君」というのが誰なのかという話が載っていた。

「ある精神状態にある誰かです」

 と彼は語っていた。その個人に向けて歌っているのだけれど、そういう精神状態の人は他にもいるだろうから、そういう人達全てにでしょうね、と。
 そういう歌を聴かずにはいられない自分は、そういう精神状態の人なのだろう、とか思って落ち込みながらニヤニヤしている自分に気付いたとき、ふとここの日記を思い出した。考え直す。

 多分、僕は「君」ではない。



9月26日 勝手に受信した電波

無くしたものは取り戻せない。でもまた始めることはできる(かもしれない)。(MOON.)

始まりは終わりに続いているけれど、終わるからこそかけがえのない日々で。(ONE〜輝く季節へ〜)

でもやっぱりその終わりは、喪失は辛いし、怖い。
幸せであればある程にそうでないときが耐えられない。
だから幸せだった記憶を恨まずにはいられない。
だから幸せになる事から逃げずにはいられない。
でもだから幸せを求めずにはいられない。(Kanon麻枝シナリオ、ONE久弥シナリオ)

何も始めなければよかったのかもしれない。
無くすことも、終わることもなく、その恐怖も知らずにすんだから。
でも始めなければ、幸せを得る事も無くすことも終えることも出来ない。(AIR)

‥‥なんかバスタードの何巻かの冒頭にあった「愛」の話のようだ。


9月27日

 この物語は"時間"がもうわやくちゃになっており、後半いきなり千年程すっ飛んで、また元の時代に帰っておりますが、これは"未来回想"ではなく"同時進行"という風に見て下さい。
 話はそれて、人のDNAには、その人間が死ぬまでの全ての行動がプログラムされているという説が現在あり、その研究が進んでおり、かなりの科学的解明が行われている様です。もちろん、いきなり死ぬ、とかいう不慮の事態まで全てを含むオソロシイものですが、もしこれが事実だとしたら、アインシュタインの相対性理論があさっての方向へぶっとんでしまい、人は時間をこえられるかもしれません。
 オモシロイですね。
 この物語のように、過去も未来も、ページをめくれるように見れてしまう。これは3次元以上の人間にのみ可能とのことですが、巻末の年表を見ながら、そういうことも想像されると、作者として"してやったり"というところでしょうか。

地球をはなれ、太陽系を出ていこうとする勇気ある我らの子孫ボイジャーとパイオニア号によせて……
永野護(FSS三巻後書きより抜粋)


9月28日

 テレビゲームについて語るとき、このゲームは、ジャンルはアクションゲームで、操作はレバーとボタンを使って、こんなテクニックがあって、こんな隠れキャラクターが出るんだよ、そんな具合に安易に語られてしまうことが、すごく多いな、と思います。テレビゲーム自体が、コンピューターのプログラムで作られていることを考えると、そういうふうに情報と正面から戦ってい方向しかないのか、と納得してしまいそうですが、ゲームを人間が作り、人間が遊ぶ以上、テレビゲームを語る方法は、それだけじゃない、と僕は考えるのです。
 そして、その僕なりの方法で表現してみたものが、今回のこの本です。
 この本の主人公の「僕」が体験した数々のお話は、今のゲーム世代の少年少女が、ビデオゲームやファミコンやパソコンのゲームのなかで、あちこちで同時多発的に体験した、あるいは、これから体験する共通のお話です。主人公の「僕」は、僕自身であり、ゲームフリークのあなたでもあるのです。

田尻智「パックランドでつかまえて」あとがきより抜粋






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