〔comic review〕 〔diary〕 〔words〕 〔GPM〕 〔Tactics/Key〕 〔etc.〕〔bbs〕 〔bbs2〕 〔link〕 〔mail〕
《雑記帳 2月》
【2-1】 【2-2】 【2-3】

2月19日 最狂、最悪、最期の物語

 各所で話題の「さよならを教えて」のデモを落としてみた。
ミラーサイトで落とした方が吉だそうです。
 で、起動。
 ぐぉ、触手が、羽根が!! 女子高生が、極太明朝体が、ぇちシーンが、血が、内臓がめくるめくぅ〜
 …って、なんじゃこりゃぁ!?
 シナリオが石埜三千穂だとう?
 …ヤベえ。
 目茶苦茶欲しくなってしまいましたよ!
 石埜三千穂っていえばあーた、HipponSuperで「ウルティマVI」に9点つけたナイスガイ、素晴らしきゲームライターですよ?
 ゲームミュージックのコーナーで古代祐三にインタビューする際にYsがどうとかはなんか無視して、「人気ありますけどミュージシャン・アーティストっていうよりか、ゲーム音楽職人だと思ってました」とかふってみたり、「でもメガドライブのベアナックル3(ノイズ系のなかなかに狂った音楽)でそうじゃないなって気付いたんですよ」とか嬉しそうに言ってみたり、普段の連載でもなんか読者を半ば無視して込み入った音楽話をしようとして他のライターに止められたりしていた方ですよ?
 すげえ好きだったんですよ、ファンだったんですよ、「ウルティマVI」初め、面白いゲームを色々と教えて下さった個人的カリスマゲームライターの一人なんですよ、はわわわわ。
#って、今、石埜三千穂氏のサイト見つけたけど、この前ワシがゲームとキャバクラどうこうで書こうとしてたことって、既にこの「Noel」のレビューに殆ど書かれてるじゃん。ぐはぁ。さすが石埜氏…嬉しいやら追いつけない自分が悲しいやら。
 で、石埜氏シナリオだし、デモはなんか異様に格好良いし(弓矢構える姉ちゃんとか…ええなぁ)、主題歌はI'veだし、やりたい&欲しいゲージがリミットブレイクしそうです。
 が、最近ちょっとイタいの恐怖症だったりする私的には、そのかっちょよいデモの「精神的嫌悪感を与える内容が含まれております。以下に該当する方は購入をご遠慮下さるようあらかじめお願いいたします」なんて五箇条の謳い文句も雄弁に語る、プレイしたら鬱になりそうなファナティックさが別の意味でもヤバい感じだったり。あんまこういうのに免疫無いせいもあるだろうけど、繰り返し見てたら胃に来たぞ、何かが。ぐはぁ。
 すげー欲しいけど、ちょっと怖いなぁ。どうすべか。




○「さよならを教えて」を買ってはいけない人
 ●現実と虚構の区別のつかない方
 ●生きているのが辛い方
 ●犯罪行為をする予定のある方
 ●何かにすがりたい方
 ●殺人癖のある方


先輩「うーん、これだと雪ちゃんは買っちゃ駄目な人なんじゃないかなぁ」
雪駄「…先輩、それどういう意味?(T.T )( T.T) ウルルルル」




2月20日 Last breath

 諸般の事情で郵便局で預かってもらっていたONE卒業文集の製品版をようやく持ち帰る。
 我ながら…というのも変だが、改めて現物を見るとB5で200P、論考主体というその本は結構な迫力。角で殴ったら人を殺せそうである(お約束な感想)。皆言うけど、これは卒業文集というより卒業論文集だよねぇ、ほんと。
 それにしても、編集段階のPDFのサンプルで確認していたとはいえ、豆満江開発機構の編集・レイアウトのセンスにはやはり感動(一緒に送っていただいた新作の東鳩マルチ本・プロジェクトXの装丁も非常に素晴らしかった)。ゲストの絵描き様方のラブリーなイラストの数々のもにも感激。ていうか、はにゃーん。残余の時も思ったけれど、やはり自分の駄文がこういう素敵な本の一部となっているというのは嬉し恥ずかしにははははーである。がお。ころがっちゃうぜ。ごろごろ。
 お蔭様で売れ行きも好調のようで、最もこの企画において関係各位に迷惑をかけた一人としてほっと胸をなで下ろしてみたり。
 この企画と出来上がった本については色々と込み上げてくる物もありますが、ひとまずそれはおいておいて。
 おねぐら参加メンバーの皆様、ご購入下さいました皆様、アンケートなどで協力して下さった皆様、アンケートの宣伝などでご協力頂いたりサイトで取り上げて下さりましたぐっちー師匠しのぶさんsugichさんこじまさん、それぞれのサイトやウチの読者の皆様、精神的にも色々と助けていただきました友人知人。
 ここに名を記せなかった方達も含め、この本に関わりを持って下さった全ての方々、そしてONEを通してwebで触れ合えた方達にまずは最大限の感謝を。

 ありがとうございました。


2月21日 電撃なんとかビリビリドカーン

 新連載のガンパレの漫画を見てみようと「電撃大王」を購入。
 おお、なんだか舞の身体が妙にえちぃぞ。
 キャラや情報を詰め込まなくてはならないせいか、ダイジェストっぽくて漫画としてはかなりつらいけど、ゲームをちゃんとプレイしてるのであろう、ゲームにあったシーンを別視点で見られるのがちょっと楽しい。
 ゲームのノベライズ、コミカライズはどれもそうなんだけど、作家の解釈やキャラの取り方が自分のそれと微妙に違うのが面白いやね。
 お茶目な瀬戸口とか。同じコマシにしてももうちょっとアダルティだと思ってたけど、あれはあれで。

 あ、今月の「電撃大王」といえばカラーページに載ってたあずまんがのガシャポン、札幌で見かけたって方は情報プリーズ。
 後輩の依頼もあってここ一週間ほど街中に点在するガシャポンコーナーを見てまわっているのだけど、未だに一つも発見できていないのです。
 スーパーに仮面ライダーとか遊戯王のガシャポンに混じって「ToHeart」のそれが置いてあったり、浴衣のルリルリの描かれたナデシコのそれが当り前のようにビデオレンタルに置いてある…といったオタク御用達美少女の日常への侵食ぶりから考えると簡単に見つかりそうなものなのだけれど、いざ探して見ると意外と無いもので。
 アニメイトやイエローサブマリン、メロンブックスなんかも入っている札幌の聖地アルシュビルにまで無いとは思わなんだ(地下のトレカ専門店には「あずまんが」よりマイナーと思われる「まほろまてぃっく」のガシャポンはあったのだが)。
 しかし、あずまんがシャポン(仮称)を探していて気付いたけれど、最近のガシャポンというのは実に多種多様なのね。人形の題材が多種多様なのもそうだけど、景品自体も時計とかストラップとかお姉ちゃんの電話番号とか色々ある。
 そういえば昔、ビックリマンシールが流行ったときにシールが5枚orキラキラヘッドが一枚という、ロッテならぬロッチの偽ビックリマンシールのガシャポンだの、後にニュースにもなった、一回り小さい一個20円のSDガンダムの塩ビ人形の贋物を知らずに買っていたりしたものだけど、あの店にあったチョコレートとかミニサイズの武器が買えた「コスモス」の大仰な自動販売機って今もあるのかしらん。
 今度実家に帰ったら探してみよう。

 ところでKanonの漫画って何時の間にか終わってますか?
 あゆの事とか、どう決着をつけたのか気になるのだけれど……って、あれ、表紙には載ってるな。落丁? 落ちた?
 「とらハ」のビジュアルファンブックに引き続き、外身には漫画が載ってるって書いてるのに中身には載ってないという雪ちゃんの不思議体験不思議事件! プラナ爆裂〜ぅ…むぅ。


2月22日 世界はここまでなんだよ

 ゲームっていうのはプレイヤーに応えてくれる世界ではあるけれど、その仮想空間世界には、決して超えられないそのゲーム固有のルール、或いは枠というものがある。
 その範囲内で望みが適ったり適わなかったりするのがゲームであって、どんなに努力しようとそのゲーム(世界)の絶対的なキャパシティを越えた範囲で望みが叶うことはない。攻略対象外のキャラはどんなに魅力的でも口説くことが出来ないし、攻略ルートがあっても実妹とはHできないのだ。
 ONEの言葉を借りればそれは

世界はここまでなんだよ。

 って事である。
 多くのゲーム作品はプレイヤーの望みを叶える願望充足サービスという側面を強調するためにその世界に限りがあるという事実を解消しようとし、避けられない世界の終わりは目的の達成という快楽に置き換えられ隠蔽されてきた。
 麻枝ゲーム作品っていうのは、そんな流れの中にあって、そのゲームのキャパシティの絶対限界を敢えて曝け出し、ゲームの正体のカミングアウトを行なっているといえる。
 ONEが切ない理由の一端は、ゲームという自分に応えようとしてくれる世界の優しさと、でも決して自分の全てに応えてくれるわけではないその限界を同時に現している部分にあると思う。俺等は限界あるって分かってるんやで、と示しながらしかしその絶対限界に対してどうにかしてやろうという絶望的な試み。姿勢。優しさ?
 ゲームを始めて直ぐに提示される「永遠なんてなかったんだ」という世界の限界(それはゲームどころか現実の限界でもあるわけだけれど)。それに対しての

えいえんはあるよ。

だなんて欺瞞に満ちた優しい言葉。俺今永遠無いっていうたに、なんでお前はあるいうねん。…痛々しいにも程がある
 長森はその後も永遠なんて無い無い言う絶望浩平に、どれだけいたぶられようとも否定されようとも応えようと希望と優しさを向け続け、挙げ句の果てにたった一人で世界に抵抗して世界が抹消した浩平を待ち続ける。だってえいえんはあるよ。ああ、くそ。もう、その姿があんまり痛々しいもんだから、「そんな想いなんて報われるわけないじゃん、永遠なんて無いんだよ。限界なんて突破できるわけないんだよ」なんて絶望してられなくなった(かどうかはしらないが)浩平は長森のもとに帰ってきてしまう。遂に観念して、一緒に永遠つくろうや、つきあってくれと長森に請うわけだ。長森は笑顔でそれに応える。ずーっと浩平に想いを向け続け、しかし見当違いな応えを返したり、それで応えることを拒否され続けてきた痛々しい長森を見てきた俺達プレイヤーは、ようやく浩平の望みを望み通りに応えてあげられた彼女の結末に滂沱するわけだ。
 聞こえないからと発することさえやめていた声が発せられ、それをずっと聞き取ろうとしていた聞こえない耳に届いた瞬間?
#あ、それって久美沙織の「MOTHER」じゃん。ラジオの放送局と受信機。母の声。むーん。
 いや浩平が折れただけやんいえば感動もくそもなくそれまでなんだけど。馬鹿には勝てん。つーか、負かしてくれ俺を。俺に永遠を見せてみろみずか〜

 でまぁ、それがONEという物語だと思うんだけど、これ以後、でもONEのラストみたいなそんな心と心が通じ合う瞬間なんて一瞬の感動はエイエンじゃないよな、恋は冷めるんだ。ロマンスは終わり生活が始まるんだよニハハと判って、限界を突破することじゃなくて、突破しようとエイエンにしようとした痛々しい想い自体に純粋に焦点を当てたのが麻枝で、突破する夢を本気で信じて書こうとしてたのが久弥なんじゃないかとかなんとかKanon・AIR。

 夢…夢を見ている。
 さようならDREAM。

麻枝「夢は夢だよ。現実じゃない」
久弥「…お前の夢は醒めてしまったのか?」



2月23日 覚悟完了

 パンドラの箱に残った希望というのは、未来を予知する力なんだそうだ。ブギーポップとかによると。
 最期に未来予知という厄災が残ったお陰で人は未来の不幸を知らずに済み、絶望せずに未来に向って歩いていけるんだとかなんとか。
 完全に未来が分ってない限りはそこにはほんのちょっぴりの希望があって、未来への切符はいつも白紙なわけだよTRYGUN。
 まだ駄目だと描かれてない白紙である限りは、どう考えたって駄目じゃんていう状況であっても、なんとかなるよ、絶対大丈夫だよ!っていう言葉が完全な嘘にはならないわけだよ。
 えいえんはあるよ。終わらないなんてそれは嘘やとどう考えても否定できるわけだけど、過去形でなく進行形未来系で語られたそれはでも嘘じゃないわけだよ。限りなく嘘だけど、まだ終わってないそれが永遠でない確証はその時点では無いわけだよもん。
 そんなこんなで。
 決まっていない未来に向かって歩くのって、能天気に希望的観測さえしてれば出来るんだな。悪いことを考えなければいい。
 圧倒的に絶望的な状況でも未来は白紙。だからさくらたんの無敵な魔法とか永遠の盟約を呟いて信じて頑張れってこと。それは勇気を持てっつーことだけど、ようするに馬鹿になれ、てことだよな。イノキボンバイエ。駄目だと思う理性を排除しろ!
 どんなに絶望的な状況でも、0.00000000001%くらいしか希望が無くても、未来に向かって走り出しトライする馬鹿さ加減が勇気とであり、トライ結果として白紙の未来を望む方向に捻じ曲げてしまうのが勇者なわけである。できなかったら負け犬なんだけどね。勇気があっても能力足りなかったら勇者にはなれない。あなたにはクンフーが足りないわ。厳しいねGGG。

 ところで観鈴ちんは強い子だ。

 観鈴ちんは100%の絶望に向かって歩いていく。
 彼女に手渡された切符は白紙じゃなかった。
 既に切符に行き先は書かれていたんだ。行き先:「空の向う」。
 彼女は夢を見てそれを全部知ってしまう。自分が助からないということ、ゴールしなくちゃいけないという絶望が待っている自分の未来という決定事項。
 頑張れば助かるなんて確証はおろか、かもしれないという0.000000001%のひょっとしたらの希望すらそこにはない。あるのは決定事項である死だけだ。ずっと傍で笑っててくれ観鈴!という往人の夢は信じようと貫こうと決して現実にはならない。麻枝がそう決めてやがる。
 決定事項は変えられないから決定事項であって、なにやってもどうにもならないんだからどうやったってAIRプレイヤーも観鈴ちんも勇者にはなれない。勇気持て戦う権利すら与えられていない。彼女の強さは勇気ではないのである。でも観鈴ちんは強い子。じゃあなにが強さか。
 観鈴は何をしようと死んじまうという絶対的な絶望未来から逃げようと無駄な抵抗をして最後まで足掻き続けるわけでもないし、死んで未来の到来を放棄するわけでもないし、かといって無駄な抵抗はしないで黙って運命を受け入れるとかそういう悟った態度を取るわけでもない。
 終わりの待つ未来に向ってわざわざ頑張って歩いていくのだ。
 パンドラの箱を開けたら希望まで出ていっちまった。未来は絶望に包まれているわ。苦しみしかないんなら死んだ方がマシよ。「永遠はあるよ」って希望の入り込む余地もそこにはない。でもそんな状況で尚、未来に向って生きていく強さ。
 それはなんていうか「覚悟」っていうんじゃなかろうか。馬鹿げたちっぽけな希望に縋ってみせる心意気が勇気。希望にすら縋らないのが覚悟。それが死への旅路でもいいじゃん。その旅路の中にこそ真琴の欲しいものはあったんだから。死はもとより覚悟。あぅ。
 つまり武士道とは死ぬことと見つけたり。ああ、観鈴ちんは武士だから強い子だったのか。
 ということはAIRのラストとは「また負け戦だったな」「結局勝ったのは農民だ」ということであり、AIRは七人の侍の物語であったのだよごめん嘘。


back
mail