近況と雑記:

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○近況
 ぐるぐるしているとき目に触れた当り前のことに、かつて自分が言われた言葉の意味を実感。「ありがとうございます」
 Web上ではかなり幸せ。

○やっぱ大空寺でしょう
 そして、幸せ故にリンクやWeb上の言葉やサークルというカタチの、自分の周囲に広がる目に見えるコミュニティーとか、繋がりというものについてぼーっと考えたり。
   最近読んだ「定本 物語消費論」(…そういやまだ最終章読み終わってねえ)や「家族計画」、「R.P.G.」に「KtF」、そして「君が望む永遠」が脳内で連鎖。
 しのぶさんやたきをんさんが君遠・あゆシナリオについて語った言葉とか読み返していて、やっぱ俺はこの人達好きだなぁ、としみじみ思っていたり、だからこそ、大空寺がそこで泣くのが重要でしょう、とか脳内でまたもや叫んでいたり。

「私は彼方の為にパンを焼きました。だから、彼方もパンを焼いて下さい」

 そうして欲しいけれど、だけどそれが当然のことじゃないんだという悔しさ、悲しさ。
 そこに流せる涙を持っているからあゆはいいのであって、自分の想いや努力が報われるとは限らない事実を初めからなんの問題もなく受け入れられていたなら、或いは同じ様にオットコマエな行動をとっていても私は惚れなかったかもしれない。
 あゆはパンを焼くことは痛くない、いつか必ずきっと認められて、相手に焼いてもらえるものだ、なんて嘘に縋って痛みをごまかすことをやめた。
 だけど、痛いのは嫌だからと誰かにパンを焼くことをやめもしなかった。
 痛くても、報われなくても、自分には焼いてもらえなくても、嫌われても、そのときはそのときだと、彼女は孝之にパンを焼くと言って、そうした。
 想いが報われない痛みの存在を許せない女の前でその痛みの存在を見せつけ、そして自身もその痛みに涙を流しながら。

「痛みなどにへこたれるものか!」<それはJOJOの黒騎士ブラフォード

 くう、格好良い、漢だぜ!<あゆ「私、女の子…」<…ってそれはあゆ違いどころか名雪です
 勿論、どんな結果でも受け入れるとはいっても、痛いのも報われないのも嫌だからと、相手にも焼いてもらえるようにと精一杯打算的なパンを焼くところもかーいーのはいうまでもない。…ていうか、孝之君も言ってたと思うけど、「そう言ったら怒るだろうけど、可愛い」んだよなぁ、あゆは。
 ってなんでまた何時の間にかあゆ讃歌になってますか。全ての道は大空寺に通じる?<それはアンタのニューロネットワークだけです
 軌道修正。

○パンを焼こう
 目の前で誰かがパンを焼いている。焼こうとしている。良い香り。
 誰かがそれを食べている姿を見る。運が良ければそれを自分が食べさせてもらえる。
 憧れて、実際美味しくて、好きになる。
 好きになったら優しい気持ちになる。
 そのうち同じように誰かにパンを焼いてあげたくもなる。
 そして、パンを焼いているうちに欲が出てくる。
 自分がそうしたんだからと、相手にもパンを焼いて欲しくなる。
 望み通りに相手がパンを焼いてくれるときもあるし、そうでないときもある。
 望みが叶うことで嬉しさを覚え、叶わないことで悲しさや悔しさという痛みを覚える。
 そして痛いのは嫌、幸せになりたいと、痛みやそれを産み出した何かを憎むようになり、痛みを回避する方法を考えるようになる。
 そういう自分が辿ってきた道は同時に周囲の人間も通っている道で、気がつくと皆それぞれの方法で幸せになるにはどうしたらいいか模索している。
 必死にパンを焼き続けていつまでも幸せというお返しを待っている人もいれば、期待し裏切られる事で受ける痛みを嫌って自分からパンを焼くのをやめてしまう人もいる。何時の間にか、お互い幸せになりたいはずなのに、その為の方法論の違いで目的とは正反対に傷つけ合っていたりもする。そういう空気を嫌って出ていく人も現れる。
 結局そういうことになるから、と、初めから香りに近づかないで、遠くから見ている人がいる。

 コミュニティと呼ばれる物の中に参加し、或いは参加しなかったり離れたりして、外からそれを見てきて判った(つもりになった)のは、コミュニティを取り巻く構造パターンのようなものと、その中での過去と現在の自分の立ち位置、そしてそれを判る事によって想像できるようになった、自分と似た位置にいた(る)周囲の人間の位置や考え方であり、それらのどこにも絶対的な幸せへの解がないらしいということ。
 多分、僕は完全に幸せにはなれないし、痛みもなくならない。
 誰かにパンを焼いてもらえるのは奇跡のようなものなんだ。
 だから僕がパンを焼いても、相手はパンを焼いてくれるとは限らない。
 でも、だからこそ、焼かれたパンの存在はとても、物凄く愛しい。
 パンを焼くという行為でこの愛しさを伝えられるなら、僕は好きな人にパンを焼こうと思う。
 彼方がパンを焼いてくれるのは嬉しいです。
 だから、それとは関係無く私は貴方にパンを焼きたい。
 彼方の焼いたパンへの代価ではなく、奇跡を彼方に届けたい。
 下心はあります。
 勿論、大好きな彼方の想いは欲しい。
 だけど私が欲しいのもあげたいのも代償ではないから。これは契約じゃないから。
 だから私は、最終的にはそういうお返しはいらないし、したくもないのです。

雪駄「…勿論、お返しを貰うのもやぶさかではないのですが」
A1「どっちや!?」
雪駄「いや、くれるいうもんは貰います。それはそれで幸運。しあわせ。ただ…」
A1「ただ、あにさ?」
雪駄「こういう考えの人から『お返し』を期待しても無駄だということですな」
A1「…貰いっぱなしかい」
雪駄「いえいえ勿論、気まぐれとか刷り込まれた社会通念上の付合いとか、打算とか、(様々な理由で)相手のそういう望みを叶えたいときとか、お返しをすることもありますにょ」
A1「するとなにか? オマエの一見『お返し』に見えるものには、気まぐれ代価と奇跡(うわ…)が混在してるんか?」
雪駄「そうともいう」
A1「…猫のうんこ踏め」

 …むう、コミュニティについての話ではなくて私的コミュニケーション思想告白になってるような。


11/22

 ここでも掲示板(うちのだけでなく)でも反応したいこと、書きたいことがいっぱいあるのだけれど、ちとパソに触れてる時間が足りない雰囲気。
 PSOを搭載したDCはやっぱり悪魔の機械です。<…ってそれが理由かい
#…いや、仕事とか、体調的なものとか、そういう所謂ちゃんとした?理由もあるんですけど--;
 先日、思想告白めいたことも書きましたが、それを気にしていただける方には、ついでに私が思った通りに生きられているわけでもないということも覚えておいていただけますと幸いです…。あうぅ、都合の良い言い訳ですけれど。
 …なんというか、ようするに、ごめんなさい、です。
 昔と態度が違う(レスポンスが遅い)のは、悪感情を抱いているとかそういうのではないのです。