近況と雑記:

12/16
どうでもいい話だけど、どうでもいい人はそれをどうでもいいなんて言わないと思うさ。
…気にもとめないだろ、ホントにどうでもいいなら。


 今日の雑記は思考垂れ流し。ヤマ無しオチ無し意味無し。いや、いつも以上に。

 階段登る時の息苦しさが(体感上は)体力の衰えによるそれの延長線上のものとなった。
 少々片肺が痛まないでもないが、投薬によりかなりのところが回復した模様。
 試しに自転車から降りて通勤してみたら、なんとか徒歩のまま辿り着けた。
 よって、積雪により狭ばった&滑りやすくなった道路をチャリンコで疾走する危険&はた迷惑な通勤行為は終了する事に。
 …なんて普段は殆ど書かないこんな風な実生活の近況を書いたりするのは、ようするに、病気してたんだよーんというアピールであり、罪悪感を(勝手に)感じている開店休業状態の諸々の事柄について手前かってな理由つけをし自己正当化して楽になりたい、周囲の人間にもそれで納得していただきたい(ついでに勝手に同情・好感度アップしていただけると嬉しいかな)というあさましい感情に依るわけなのだろうけれど、同時にそういうのを凄く嫌う自分もいたりするわけでだから途中で止めてさらにわざわざこういう釈明みたいなものも書いている12月の半ば。
 自己正当化とそれの他人による追認を求める文章を書きつつ、それを否定するようなことも同時に書く今の自分が求めるものが何かと考えてみると、「許して欲しいけれど、許しを求めている情けない自分を知られたくはない」という中身の無いプライドに依存する自分本意の理論の成立なのかしらんとか思いつく。援助は欲しいけれど被援助者という弱者のレッテルを自分に張り、相手に援助者という自分より強者のレッテルを張るのが我慢ならんから、援助を求め、しかし差し伸べられた手には感謝せずにそれを義務だの過去の罪の償いだのに摩り替えて当然のこととしなきゃいけないんだ! とかそういう風なことを思ってるんじゃないか…とか。
 …それじゃプライドを守るために「助けて」とは絶対に言わないけれど、本当は誰かの助けを期待して分かりづらいシグナルを無意識に送っている馬鹿なガキとか、分かりやすいシグナルを意識的に出しまくってる賢しいガキみたいね。いやん。
 しかし、したらばそのうち私も助けを得られずにどうしようもなくなって、結果ワンピースのナミの如く仲間(だと思いたくてそして幸いにも向こうもそう思っていてくれた誰か)に「助けて」と泣きながら叫ぶのか、或いは真琴みたく最後まで叫べずに泣くのかしらんというと、多分そういうことはなくて、そこまでいく前にさっさと自分や他人を騙して援助(或いは別の名前の何か実わ援助)を受けるか状況をあきらめてしまうのだろうな。
 自分のプライドを守るために自分に嘘をつくことも、他人に嘘をつくことも、他人が私のプライドを守るために私の嘘を否定しないでいてくれたことも、他人が自分のプライドを守るために嘘をつくことも、私が他人のプライドを守ってあげるために嘘を指摘しない事もあまりにも当り前になってしまっていて、悲しいかな、僕はもう彼女等みたいに純粋な涙を流すことなんてできそうもないんだもん。
 いや、できる気もするけど、それには多分理性ぶっとばさなくちゃいけなくて、恋も情も何年休んでるねんというこの状況、そういうことを意識していられる限りは無理なんだろうなぁ。
 シニカルな笑みを浮かべてみたいところ。

 こういう風な自分(のプライド)を守りたいという感情を抱き、守るための処世術を身につけ大人になっていく馬鹿で賢しいガキ達はやがてコミュニティの中、お互いに傷つけず傷つかない距離を保ち生活していくようになり、使わないけどその気になれば相手を傷付けられる武器を持っているという幻想とそれを根拠とした妙な自信を持って闘わずに生きていくことになり、しかもそれが武器を錆付かせ実戦で闘う事も出来なくなるという事実も理解しているので、余計に闘う事や痛みへの恐れが加わってますます闘いを避ける執念は強力になり、その術は巧妙になっていく。
 やがて彼らは巧妙に避け続けるが故に高まっていく、傷つけられる事への不安と恐怖にがんじがらめになっていくわけだ。
 結果、彼らの形作る社会は循環し高度化していく。
(その不安に耐えられなくなった結果がEVAにおける人類補完計画だったりONEの「えいえん逝き」だったり「かたつむり前線」の「かたつむり化」だったりするというのは安易な見方なのかもしれないけれど、そういう見方をして自分の問題に置き換えを行なった結果として感情移入していたガキもいるんではないかと思う。とりあえずわしはそうだったんじゃないかとふと思う)
 そうやって完成した「お互いに傷つかない状況を前提としたやりとり」というのはその互いを自縛する暗黙のルール故に駆け引きを生み、高度になった駆け引きというのは当然ながらスリリングで面白い。
 武士道や騎士道や宗教や法なんていうものが面白いのは、それが制限であるからで、そのルールの中で自身の目的をどう達するかとか、拭けば飛ぶような理論で構成された、実際のところは従う必要の無い制限を如何に自身に納得させ従うかという知的ゲームを行動に付随させてくれるからだと思うのだが、この暗黙のルールもまた同様でしかもルールで自縛する理由がプレイヤーにとって切実という点でも優るとも劣らず、非常に良いゲームが展開されるに違いないのである。

 しかしながら。
 この暗黙の了解が高度な駆け引きを生むのは、それがいつ相手が自分を傷つけてくるかわからないという緊張感があればこそであって、絶対に相手が傷つけてこないという信頼関係が存在する間柄では駆け引きもクソもなくなってしまう。
 高度な駆け引きをしていればこそ「お約束」が破られたときのハプニングも面白くなり、激怒した浩平が瑞佳との間にシュートな関係を構築という奇跡のようなアングルが降臨するわけだが、なあなあになってしまった駆け引きは所詮電話告白イベント止まりの肩透かしに終わってしまうのだよもん。
#わかってるのか某プロレス団体!<…って、それだとただの紙プロのフォロアー
 楽だからってなあなあに逃げ込んだら終わりだな。自戒しとこう。

 ところで浩平と瑞佳の関係というのは、ああ来たらこう受ける、相手を傷付けない…という、互いに望んだプロレスみたいなお約束で成立していたわけだが(勝手に断定)、そのお約束が成立させていたプロレスの試合に相当するものはなんなのかと考えたとき、その解釈を作中での物語内でなく外部で行なったとき、東鳩が復活させた80年代のお約束的様式であったという事に思い当たってみたりして案外面白いネタかもしれないとかふと思った。転校してくる七瀬の役割とか意味とか。

 あー、何を書こうとしてたんだっけ。書こうとした事なんも書かないでイントロでなんか思考迷宮にはまってるし。
 …まぁ、いいか。今日はなんか疲れてるし。書こうとした雑記本編は次にしよ。
 つーことで

つまり、俺様が何を言いたいかというと、ONE卒業文集、 何気に改訂されながら再販決定、メロンでも売ってるって事以上一点だ!

 …ということにして寝る。うぐぅ。


12/17
そもそも今回の雑記再開のきっかけは、うっちーさんに叱られる(いやうっちーさんとしては叱ってないそうなのだがあたしはそれ読んだ日聖誕日でこれ噛ませてWeb見てたわけでごにょごにょ)事件の発端であるところの、綾波レイbyぼうのうとどうよという話題なわけなんだが、それはさすがに時期を逸ししまっていて今更それをこういう形でうっちーさんに振るのもにゃーとか悩んでいたりする今日このごろ。本末転倒というかなんというか。したっけ、丁度いい具合にうっちーさんてば丁度あたしも読んだリバースリバーズ・エンドを読んでいらっしゃるのでそれを起点にしてライトノベルについてちょこっと騙ってみようかと思ったんでそれを書こう。うん、いい考え。

○そんなこんなでリバーズ・エンドについてとか(12/19追記)
 タイトルやプロローグの川の描写から岡崎京子のリバーズ・エッジを想起せずにはいられなかったわけなんだけれど、読み終わってみるにどうもあたしのこの連想は作者の計算のうちの模様。世界の姿。そして終わり。世界はここまでなんだよ。多分この本はエッジを前提にエンドとその向こうを書くための「作者のエッジ」でありプロローグでありその為に完結した世界。言うなれば「君が望む永遠」第1章だとか、「ベルセルク」の黄金時代編みたいなものなのであって、描かれる続きの為にこそ完璧に終わっていなければいけなかったのだろう。
 そう考えると最初に結末を持ってきたり、短いセンテンスで区切り(ページの下半分をスカスカにしてみたり)と徹底的に儚さを強調し、しかもそれが必然となるような内容の恋愛物語を描いているという「前提である終わり」の活かし方も素晴らしく、実際、添えられた高野音彦のイラストの画風もあいまって、非常によい「淡さ」が表現されていて、上手く纏まった良作という雰囲気であるわけなんだけれど、あたしはこれを読んでいて作品の出来とは関係無い部分でとっても辛い気分になっていたりした(まだ続く)。


ということで(どういうことさ)、掲示板で予告した「メダロット・ナビ」の事についても書いとこう…と思ったのだけれど、今木さんの日記&そこからのリンク(移転してからあんまり見てなかったなぁ。あそこにはカラミティナイト辞典があるので関係諸氏はチェキのこと)記述を見たら、今更あたしが書くことなんて殆ど無いような気がしないでもない。しようが無いから例によって時系列構成表でも作っとこうかと想ったが、それも2chのスレに大体解説が上がってたんで不要か。
 ちなみに話題の腕の左右の違いについては、作者のミスでないとするなら、バイザンが左手に武器を持って獣王と闘っているコマは恐らく(議論等も)漫画に描かれたカスミとメタビーの話(カスミver.)からすれば未来で、バイザンver.からすれば過去(ややこしいな。でも多分そこがこの漫画のミソの一つ)なゲーム版本編クライマックス?の出来事であって、右手ver.のコマがバイザンver.現在進行形の獣王との対決ということだと思われ。バイザンの行動が過去のリフレインであるならシデンの台詞の意味も深くなるし、カラーページにおける解説の獣王が封印されている理由も過去(ゲーム版?)が絡んでるんだろうとか色々妄想できて楽しい…って感じでないかと。 #…分かりづらいか。やっぱ後で表書くか。
 …って、ゲームやってないし実際のところは分かんないんですけどね。

<追記やリンク埋め込み等の追補予定あり>


12/18
とりあえずメモ

 LaughCatさんが掲示板で、「君が望む永遠」におけるゲームのお約束的な、視点の一人称固定の弊害について触れていたのを読んで、その逆をやったことで不評を買った「BITTER SWEET FOOLS」と対比してみると面白いな、とか思いつく。
#あたしの今年の個人的ベスト1はBSFでしたとも、ええ。…人には家族計画の方勧めますが。ちなみに小説の方は今年読んだ中だと間違いなく恩田陸がよかったんだけど新作読んでないので保留。ライトノベルの方は主観バリバリで「BLOODLINK」。カンナ萌え。いや、燃え。

 「君遠」といえば随分と言及が遅れているけれども、第二掲示板に上がっている遊さんの考察が興味深い。関係諸氏は参照することをお勧めする。余談だが、この考察についてのやり取りの中でLaughCatさんが遊さんに「きみのためにできること」(村山由佳)を勧めているのも興味深い。ちなみに某白(もしくはオレンジ)の人は君遠経験者に二宮ひかるを勧めている。そういう風にこれどうよ、みたいに他の作品をあてがわれることが自然と受け入れられるあたりが「君遠」という「作品」(物語とかお話・ストーリーとかキャラとかようするに書かれてる事でなしに)がなんだったのかを端的に言い表しているのかもしれない。

 さらに余談だが、LaughCatさんの書込みを見て、じゃあ私も「家族計画」にハマっている人達に「R.P.G.」(宮部みゆき)を勧めてみようかとか思いついたのだが、嫌がらせと受け取られる気がしないでもないのでやめていたりする(いや、丁度正反対のお話なので)。どうでもいいが、あたしは「R.P.G.」に出てくる一美ちんが好きである。大好きなんである。燃え。

 考察といえば、影王さんのPS移植版ONE、「輝く季節へ」なつきシナリオについての文章が最近アップされているのだが、これもまたかなり興味深い内容。ゲーム表現としての見方については激しく同意。我らはなつきについて再評価するべきなのかもしれない。

<追記やリンク埋め込み等の追補予定あり>


12/19

 カラミティナイト2(ちなみに1は去年の私的ベストだったさ)読了。
 2chライトノベル大賞下半期ベストへの投票作二つ目決定ー
 ファンタシースターオンラインULTモードクリア。
 レイキャスト・LV120
 …長い道程だった。