八千代の人になりました

<十勝移住記>

こんな生活に少し憧れていました<恥ずかしい 笑>

06/9/12

2001年6月30日 帯広市の郊外、駅から30km<多くのお客様に何で?!此処が帯広市なのだと?詰問される、笑>日高山脈の近くに小さなユースホステルをオープン、内心早まった!とは後の祭り「行かねばならんこの道を、、」 。少しづつ振り返り前を向き立ち止り書いていきます、今後とも宜しくお願いします
06/9/16

20年前の9月の今頃の季節、雨が続く北海道をテントを持ってバイクで旅行中<期間を決めていない旅行でした>
八千代の事を知り初めて訪れました。
雨の多い寒い夏〜秋の北海道は寒くて、3シーズンシュラフにくるまり雨をテントの中でやり過ごしていましたが
懐も、そしてこれから何をしていいのか?判らずぼんやり日々を過ごしている心にも体にも、堪えた事を思い出
します。ちゃんと?した日々の生活に追われる人を羨ましい目で眺め、さらに情けなくなっていた事も思い出しま
す<20代前半の頃です>

06/9/24

何かある事を目的としないで来た八千代には、自分が描く北海道らしい風景が在り観光目的の人もいず、今もそう
ですが(笑)山も川も静かでした。
当時建築が進んでいた<植村直己野外学校>の校舎建築の現場に住み込ん
で働かせてもらう事が、その秋はできました、大阪を離れて手伝いとは言え初めての経験でしたが、、、何も出来
ない不器用な人間はただの足手まといだったと思います。ここを知るきっかけを作ってくれたのは、池田にある

(北のコタンYH)のオーナー宮田さんの案内、感謝を今もしています。


06/10/1

八千代を初めて訪れた頃、何をどうして良いのか判らず、良い面の中にも一部悪い所があっても変ではないと
言うことさえ理解できず、臆病な癖して正論だけを話して気を引くことを求めている、なんとも割り切り悪く品も無し
(笑)?でも真面目な青い時間を送っていました(今振り返れば)八千代で一秋過ごし、自分は?何をしたいんや
ろ?を胸にフラフラと海外に向かいました、しかしこの頃北海道に八千代に、日高山脈の十勝幌尻が良く見える場所
で暮らしたいなと言う思いを持っていました、しかし社会へ出るには今一歩の勇気を持てず更に遠回りをして此処に移
って来る事になります。

06/10/12

海外も国内旅行もこの時期<27歳頃>一番遊び心おきなく帯広に移ったのは1993年の10月30歳になる数日前、
とる物もとりあえず?なんて言う感じでう移って来ました。度々聞かれるのは?どうやって仕事を見つけたか?と言う
事です、僕は何の気なしに帯広駅の改札口に置かれてあった新聞の求人欄をみて、生まれて初めて会社勤めをす
ることになる応募、なんだか?知らないうちに就職の運びになり、後ろを見る余裕も無く右も左も分からない業界
に入れてもらいました、しかしこの時も何も出来ない30歳になる人間をよく雇ってくれたものだと、、、(笑)ただとにかく
何でもやってやろうと言う気持ちだけは強く持ってはいました、先への希望もあったんだと今になって思います。

<十勝毎日新聞>に感謝しています。

06/12/1

雪が来るまでの北海道の日々は忙しく、とにかくせっかちに働く、思っていた印象とは?かなりちがっていました、、、
しかし雪や冬の寒さ等を考えるとそれも仕方の無いことだと思いますが、移住を決意したりしている人には注意です(笑)
 
初めての冬は突然の雪で始まりました。
当時、市役所の近くにアパートを借りていました 家賃4万5千円2DK駐車場無料借りるのには2名の保証人を立てる事、
契約期間は2年更新でその間に出ると敷金が戻らないと言う条件でした、いま考えれば借りた部屋は、天井が低く買った
ばかりの家具の頭がつかえて壁に寄せれなかったり(笑)1Fが駐車場になっている構造は床に火の気の無く、深々と寒さ
が身にしみ結露がひどく(多くの物をかびさせてしまった、、)良い勉強をさせてもらいました。
しかし、冬も雪もうれしかった(笑)何の面白くも無い道路にも雪が積もると別世界になり珍しく雪の上を歩きまわり、
凍りついた道を2人でツルツル滑りながら、1ヶ月に一回の贅沢と決めて見ていた映画を見に、駅の近くにあった場末の
表情アリアリの映画館<(氷の微笑)を見ました(笑)リアルさが無かった>に行ったりしていました、、、、

帯広に移って初めての正月は大阪に戻りませんでした。

07/3/14

なんと!と言うほど更新を怠っていました、しかしここはウン!と力を入れないと書けません(笑)
仕事を始めると会社の皆もお得意先の人達もよく面倒を見てくれました遅れてきた新人は30歳
先輩の中には年下の人もいましたが、ここで生き残るにはしたたかさを心に持たせながら、仕事に励んだ積もりでしたが
元来覚えの悪い僕の手先は(笑)当初していた組み立ての仕事は辛かった、今でも当時を思い返すと?一番面等を見て
頂いた先輩に申し訳無い思いで一杯です。
給料は交通費も含めて20万そこそこ、手取りだと18万程度だったと思います
この額面が多いか?少ないかは?
今になって考えると悪くは無かったみたいです、本州の特に東京/大阪等から移住して来たばかりの人からみれば
なんと!安い!と思うかもですが、実勢と言うのを感じ始めると解ると思います(笑)


07/7/20

なんと!と言うほど更新を怠っていました<またもや!>
2年ほどは、またまたくまに過ぎました、仕事はしかし?やはり難しかった<笑>
営業職になった僕は商品知識も乏しく、地元の人間関係も少な無く<札幌だとこの面の負担は少ないかも?都会なので>
いつも要領悪く失敗ばかりしていました<笑>大工さんにもよく怒鳴られました、、、が
建築業界の社長さんたちに<創業者は少なかった>以外にも目を掛けて頂き、公私の両面で随分勉強させて頂きました
仕事や損得での関係もあったと思うけれど、自分は何か心の繋がりが大事だと今も思っています。
失敗を繰り返して信用を失いそうになった時もあったけれど?どんな会社や組織や人間関係でも最後はハートの問題かと。
大事にしなければと思っています。

当時6年前までサッシを扱う住宅関連の仕事をさせて頂いていました、十勝の人の持ち家率は高い方ではないでしょうか
30代中くらいで庭付き新築<土地60坪〜>の家を建て、子供2名に奥さんの車もあって2台を所有が別に普通な感じです
うーーん贅沢な感じがしませんか?<笑>。

07/11/4
日々、朝起きて空を見上げて<くふーーっとため息を吐く日もしばしば<笑>
特に天気の良い初夏は悩ましく辛くて、少しでも遊ぶ時間が欲しくて金曜の夜に帰宅後急いで準備して
出かけるような事も度々、近くのキャンプ場や川原へ出かけるだけだったんですが?気持ちが綺麗に晴れる事は
無かった、、仲間が仕事で出来ました、これは嬉しい経験でもあったけれど根本的な物には成れなく、、だったと思います
ただ人間的には物を見る面の引き出しを増やす事が出来たのは、この時間があったからだとは思っています。

この時期、十勝幌尻の近くに住宅を借りて引越しました。
12年前神戸を襲った地震、オウム事件があった年、
長女が誕生、自分の心の中にこんな感情があったんや<笑>
が正直な感想でした、<嬉しかった、、、>

08/3/5
1995年長女が産まれた事は本当に嬉しかった、<笑>
この事でかなり生活に張りが出来ました、暑い日も寒い日も外に連れ出し10月の初め頃まではキャンプを楽しみ、
カヌーに乗せて川を散歩し、広い庭で薪割りの手伝いも喜んでしてくれました<笑>
その頃集合住宅から、懇意にしていただいた隣のおじさんの口利きで、築40年以上<改築前の家は築70年?以上>
の農家の家をお借りす事になりました、建坪30坪/納屋/土地は600坪程はあったと思います15000円/月
内部は<笑>すさまじく汚れ水道管は破裂しているし、雨漏りに壁は傾き、畳も何時の物?お風呂は大きな穴が開き
さらにトイレは外の小屋にしか無く、、、、、でもこの環境が自分の日々のやる気の源になったと今は思っています。
コツコツ会社帰りに夜遅くまで改修し、早朝からトイレ作りの為に穴を掘りました<本当に楽しかった
大いに生きている
実感を感じましたし、時間も生活も自分の手元に戻ったような気になりました、本当に良く働くお父さん、ほめたいですね<笑>

08/7/6
古い農家の生活が始まりました、僕は周りの人たちの心配をよそに日々の時間を楽しんでいました
冬に向かって薪を作り引越しをしたものの足りないものだらけと、傾いた家と粗大ゴミだらけの屋敷内の掃除に
追われましたが、充実感で仕事<帯広でのサラーリマン生活>の方も良い方に向かっていたと思います
しかし初めて迎えるこの家での冬はけっこうなもんでした<笑>今思い出しても<笑>面白かった日中から
薪ストーブと灯油ストーブを2台点けてちょうど良くて北側にあった洗濯機の排水も凍り、水を落としているのに
水道管は凍り風呂場の排水も凍りました、人間だけは家族で寄り添うように暮らし<夜は川の字になって眠り>
暖かく暮らしていました、長女の麗は寒い日も元気に外で暴れまわりスキーに初めて連れて行ったのも3歳頃だと
記憶しています、夏は畑を起こし色んな野菜や花を育て実は鶏も飼っていました<笑>念願の犬もついに手に入れ
ました。それが、、、<グリズリー   グリ<2008年現在/13歳です> 
2度目の秋も深まる頃次女<夢が生まれました>  これも嬉しかった

08/10/27
平成10年の年が明けました、年明け一番一年で一番辛い気持ちを抱えていました
理由は会社を辞めたい<笑> 年始周りの辛い事<笑> サラリーマンになって5年
真剣にどうすればこの日々から抜け出せるかを考え始めました、そしてこの年の明け早々に
会社を辞めたいという事を家族に話しました、何も出来なかった僕を拾い育ててくれた会社には
感謝の気持ちでいっぱいでしたが、日々の時間の流れも、何よりもストレスを溜めて帰宅して
家族に当たったりする事がこの頃続いていました。
何が自分に出来るんやろう?が僕の日々の悩みになり始めました、ユースホステルを開くその時まで
まだ3年もかかりました、、、、、、。
09/4/24
移住した人たちの最初の頃の思いは だいたい?食べて行ければそれだけで幸せなんですと語る人が
多くいます多分?日々の暮らしに追われている方が多いんだろうなと思います。
でも、皆では無いと思いますが、日々食べて行くだけででやっぱり幸せだとは言い切れないと
僕は思っています、正直な気持ちです。
僕の場合はラッキーでした仕事も殆ど苦労せずに見つけられた事、家も希望通りに廃屋を借りる事が
出来ました、少しづつ希望やこちらでやってみたい事への準備を整える事が出来ました。
いよいよ平成10年、この土地に腰をすえると言うよりも里心が芽生えてしまった心をどう上手くやり過ごせるか
その中途半端な気持ちを抱えて次の道を探り始めました、仕事の途中に新しく出来た宿などを外から眺めて
帰ってみたり懇意にしていただいていたユースを訪ねてみたり、どれだけの予算があれば次に進めるのか考えていました
里心はGWに帰省した際に大阪でやってみたい事を思う存分やってしまうと、うそのように里心は落ち着きました<笑>
そんな頃、朝野球で懇意にしていただいていた方から現在ユースの建っている土地を紹介して頂きました
そこから土地を収得するまで2年ほどの時間がたつ事になります。

                                ちょっとタイムアウト

 毎年何人かの方が十勝を移住先に考えてユースにも宿泊していただいています
十勝の町村でも、遅れて帯広市
<いつも一歩遅れています(笑)>移り住む方への情報提供を
積極的に行っている町村、以前は芽室町が元気にそしてモデル地域<上美生地区>
等が有名です、移り住んだ方々の新しい家々を外から見ることができますよ。
他の町村でも体験移住のような形で住宅を格安で長期に貸し出している所もあります
興味のある町村のHPからサイトをご覧になってみてください。
ただ、大げさにやらんでも自分だけで来てちょっとづつ苦労をして
移り住んでおられる方が多数だと、僕は思っています
将来を決める仕事を探すのが最大の難関ですが、別に食べてここでしか
出来ない自分のやってみたい事への情熱があるのであれば
仕事はいくらでもあります、げんに皆こうやって生きています。
10/2/23
現在、ユースが建っている土地は、近所で農業を営んでいるTさんの土地でした、朝野球で知り合い、縁あって
土地を譲っていただける事に、当事者同士では話しが付いているのにも関わらず、お役所関係の仕事はどうやっても
進まず、首を立てに振ってもらう事もかなわずでしたが、ここは地元の農業委員さんが何度も市役所などに出かけて
いただきました、この頃がなんだかんだ言っても人付き合いの難しさも、仕事の事も今後の計画の事を考えても
一番大変だった時期だったと思います、帯広に越して来て10年以上が経過、なんとか地に足をつけて暮らして
行ける自信が出てきていたんだと思います。
この頃、数軒の家族がこの地に足をつけて暮らすようになり始めました

土地転用は大変な事が多くてできればお勧めしにくい移住方法ではないでしょうか
できれば、廃屋の跡とかこんな八千代でも住宅の集まった場所があるので、そのような場所で土地を探せば
事態は急転、良好な方面に向かうと思います、ただ来て直ぐに土地を購入とか家まで購入などは? 
僕としてはかなり冒険がではないのかと思ってしまいます、土地の人も永くここで暮らして欲しいと思っている
人達が多数<もちろん排他的な人もいます、それはしょうが無いですね>そう考えてみると、
ちょっと1〜2年、借り住まいを経験して土地に馴染んでゆく方が良いと思うのですが、、、、、
最近も多くの方<家族>の方が移り住みたちとユースにもお越しになります、なかなか有益な情報が無く
ただただお話しを聞くだけで申し無く思っていますが、多少の不安は取り除けるのかと?<笑>





へっぽこジャーニー